マホガニーの温もり
WEB STORE 初号機記念の唐草オーナメント
「ああでもない」
「こうでもない」
「この前はこうだったから今回はこうしよう」
「ありゃ、もっと理想から離れちまったい」
「じゃこっちか」
「こっちでもないんかい」
「もういっぺん元に戻してみっか」
「またあかんくなった」
「もうわけがわからん」
「ん?」
「もしかしてこいつをもっと薄くしてやりゃ」
「何も変わらんかった」
「じゃここを少し離してみよう」
「おぉぉぉぉぉ!」
「結局どれが正解要素だったかわからんくなったけど」
「すごく良い」
こんなことを繰り返した十数年。「人はウクレレのどこに感動するのか」なんて大それたことは一生わからないと思う。わかっているのは一個だけ。自分はとことんヴィンテージマーチンの弾き心地が好き。手に取った瞬間に「本物」を感じる。軽くふんわりしていて、優しくて。あったかくて。芯が太くて。いつまでも、いつまでも弾いていられる。あれを「製作して再現する」ことは不可能。だって新品だから。だから意識のベクトルだけでもそっちに向ける努力をする。本家のポロんとやったそばから甘い空気に包まれるあの感じ。時間に醸成されてきた部分がかなりあるのはもう間違いない。ただ自分にとっての光はないわけでもない。現行のメキシコ工場製のマーチンじゃなくて20世紀初頭のナザレスの20名そこらの工員たちが手作業で作り上げていた温もりみたいなものなら追いかけられるかもしれないっていう、あやふやな希望。あの音の根源はたぶん、いや間違いなく「人の手」なんだと思う。工員が仕事の合間に自分用に作ったエンプロイモデルを見ても同じ温もりを感じる。現行のカチカチな音とは全く違う。手元にあるヴィンテージマーティンのボディの中を手鏡で何度も覗き込んだ。ブレイスパターンの変遷資料もある。でも見えているもの以上に人の手なんだと思う。モノトーンストライプの飾りしか持たないマーティン3Mがなんであんなに格好いいのか。それも時間の力と人の手なんだ。そのベクトルさえ間違わなければいい。細かい道迷いは多々あれど。遠くに見えてるものの方向を見失わないように。
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