国道156号飛越県境を越える
今年は年明けからずっと仕事だったのでそろそろ一息つこうと思いまして愛機富士フィルムX-T4持って日帰りドライブに行ってきました。午前11時まで一仕事してからのんびりスタート。国道156号線を北へ向かって車を走らせました。
目的地は岐阜と富山の県境を超えて15キロほどのところにある越中五箇山、相倉合掌造り集落です。相倉と書いて「あいのくら」と読みます。合掌造り集落と言ったら有名なのは岐阜の世界遺産白川郷ですが相倉も世界遺産の一部です。実は合掌造り集落は相倉、菅沼、白川郷と3つの地域にまたがっています。最も有名な白川郷は飛越県境から国道156号を岐阜側に15キロほど南に下がったところにありますが僕は岐阜民でありながら富山側の相倉ファンです。いつも観光客でごった返していて完全に観光地化してしまっている白川郷よりもこじんまりとしていて生活の息遣いを感じる相倉集落の方が落ち着きます。
美濃加茂から下道で2時間半ほど、五箇山相倉に到着しました。着いた時間が午後4時前で遅かった為か人もまばらです。今年は、というよりここ数年雪の量は少ない印象です。それまでこの時期は1階が埋もれていて、道路も道脇に人の頭より上の高さまである雪の壁を見上げて歩くという光景が普通だった印象です。温暖化の影響なんでしょうかね。
合掌造り。戦国時代には鉄砲火薬の元となる塩硝という硝石と硫黄を混ぜたものを主に1階で生産していたそうです。床下に掘られた穴に積んで蒸らし、それを窯で煮て結晶させる。藩政期には五箇山全域で生産されていた様子が菅沼集落にある「塩硝の館」で見学できます。1階では他に紙漉き作業にも使われていました。2階は養蚕作業に使われ、1階の囲炉裏から上ってくる熱気を通して養蚕を温めていました。昭和に入ってから桑畑が水田に変わった今ではほとんどの家で養蚕は行われなくなりました。つまり合掌造り家屋は住居兼家内製工場だったわけですね。
厳しい豪雪地帯で生活するために住民で協力して十五年から二十年周期で茅葺の葺き替えを行ったり、村総出で放水訓練をしたりと今でもコミュニティの団結が見られます。なので観光地というよりはそういった山里生活の中にお邪魔する感覚でいつも相倉に入ります。3件先の顔も知らない新興団地暮らしではもう見られない、昔の日本ならどこにでもあったはずの暮らしに再会できる場所。なんかふらっと行きたくなるんです。
大抵の飲食店が3時で閉まってしまうんですがこのお食事処「まつや」さんだけは5時までやってるんです。真冬でも結構賑わってるはずなんですが年始の大地震の影響で今年はご覧の状況。震度6に見舞われたこの建物はもちろん合掌造りですが無傷です。チョンナと呼ばれる太い楢材の梁が釘など一才使わず雪の重みに耐えられるように堅牢に組み上げられています。
まつやさんには家族でも何度も来ています
春には山菜天ぷら定食が美味しいんです
いつものおばちゃん
今回の地震について話してくれました
夕方の小腹空きにはお善哉。ここのは3種類のお餅が入っていて小豆もホクホクで美味しいんです。
昔宮城の祖母が正月に作ってくれたお汁粉も美味かったな。ばあちゃんのお汁粉は餅が長方形でバカデカくて一口では噛みきれないような汁粉でした。色々思い出しつつかなり上品な装いのこのお善哉を頂きます。
小豆が甘すぎず美味です
地元相倉の子供達は元気いっぱい
写真には写っていませんが奥の方で高さ2mくらいの雪山でスノボしている少女もいました。1秒で終わってしまう斜面ですがすごく楽しそうでした。
まつやのおばちゃんとも久しぶりに色々話して楽しかったです。お善哉も美味しかったし大満足。賞味6時間300キロのドライブ、めっちゃリフレッシュできました。明日からまた製作頑張ります。
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