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水曜日はよく降りました

次女と隣の家のクラスメイトを車で送迎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「岐阜」というと雪のイメージがあるようですが我が家のある中濃地方(岐阜、各務原、美濃加茂、可児)は愛知県の北側に隣接するエリアで年に数回しか降りません。豪雪地方は滋賀県寄りの関ヶ原、揖斐など西の方か下呂、郡上、高山、飛騨の北のエリアです。なのでうちの近所の道では雪が降ると名古屋方面からのノーマルタイヤのトラックがよくスタックして朝の渋滞が起きます。とは言え私は通勤7歩なので渋滞関係ありません。

 

 

 

 

 

ここ数日は今年使う部材の作成に勤しんでおります。写真はバインディング。これは虎杢メイプル。ザクザクとプロクソン卓上丸鋸で切り出していきます。バインディングを切り出す時の刃は直径50mmのちっこいやつです。たまに聞かれるんですが焼きの入った刃は使ってません。どんな硬い木材でも時間がかかっても切断面が綺麗な細目を使ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

ローズウッドから切り出したブリッジバー。こちらは流石に厚いのでチップソーです。サドル溝と弦穴溝を掘ってプロクソンで18mm幅にカット。あとはこのバーから必要な幅だけカットして製材していきます。タイプ1だったら64mm、タイプ2なら66mm、タイプ3なら68mm幅です。テナーのブリッジは段取りが違うので個別に作ってます。

そうそう、今年からローズ製のブリッジを導入します。エボニーに比べて比重が軽いのでサスティン(音の残響)よりもアタック(音の太さ)や温かみを出したい場合にはローズの方が良いととある先輩ビルダーから教わり、取り入れました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらはヘッド化粧板(奥)とビルドインピックガード(手前)です。厚さ2mmで切り揃えてます。これを作る作業が正直一番大変です。まずバンドソーで3mm厚に長いエボニー材を縦に挽き割るのがシビア。その後ドラムサンダーで平にして必要分を小分けにカットして写真のようになります。硬い材は刃物の消耗が早いので経費が嵩むんです。レクソンBS-10Kというバンドソーを13年間使ってます。これは100V電源で稼働する卓上バンドソーでは最強クラスなんですが言っても卓上なのでガチの工業用のものに比べたら圧倒的に非力。一応ブレード(刃)も10mm幅とか挽き割り用のものも売ってるんですがパワー負けして寿命が短い傾向があるのでno.2308のブレードしか使ってません。5畳半の狭小スペースに収まるバンドソーということで選んだのがレクソンでした。うちは3、4本程度だからそれでもいいけど月間10本とか作る工房ならKERVのでっかいバンドソーの方が絶対いいんだろうな。

 

 

 

 

 

 

指板の製材。エボニー指板とローズ指板を大量に製材しました。使うのは来年かな。しばらく寝かせて狂いを出し切ります。昨年末に仕入れに行ったときもやっぱり仕入れ値が上がっていました。もう毎年上がる。だからその場にあるものから黒いもの、濃色のもの、割れのないものを選んで全部仕入れます。で、また来年も。どの業界でも同じかと思うけども、たとえ仕入れ値が嵩んだとしてもそれを売価に反映させると途端に売れなくなるのが今の日本の現状ですよね。昭和の高度成長みたいな給料アップに付随したインフレじゃない、コストが嵩むことが原因のインフレ。手を打たないと年々粗利が落ちていくという恐ろしい状況。新聞やネット記事で解説されている通りの経済状況が自分にももれなく降りかかっている。これをどうやったら打破できるかを考えなくちゃ。師走展でいろんなユーザーと接して感じたことにヒントをもらいつつ、自分が提供できるものをアジャストさせていければいい。手間のかかる飾りや派手さよりも木の面白さや音そのものの温もりを感じられるウクレレの方が手応えがあったこと。ヒントはここだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

骨組みとなるシトカブレイシング。これもとある先輩ビルダー(青木さん)のご意見を参考にこれまでより細く切り出しました。当然全部、柾目取りです。二回目の師走展では青木さんにいろんなことを教えて頂きました。裏板のブレイシングの考え方や昔の楽器業界のこと。なんと言っても青木さんが楽器の世界に飛び込んだのは私の生まれ年、1978年。つまり私の年齢がキャリア年数。そりゃ参考になることしかありません。感謝です。

 

師走展を立ち上げた当初の目的は前述した年々圧迫されている粗利を上向かせるために一本でも多くの直販実績を作ることでした。お店に対する卸売がうちの工房の屋台骨であることには変わりないんですが、直販と卸の比率が10年前と同じでは立ち行かなくなっているのが現状。少なくとも数本だけでも直販できれば安定する。そう思って新作直販会として立ち上げたのが師走展でした。しかしそれはそうとして実際に二回やってみると違う側面の果実がありました。一つは直にたくさんのユーザーの声を聞けること=実際自分の作ってきたものと求められてるもののすり合わせができて今後に活かせれること。もう一つは色んなタイプの同業者と交流して意見交換ができること=もっと違ったやり方考え方を知れる。この二点は別にハンクラでも同じなんですがあの狭い会場なのでより濃い接触ができる。錦糸町の会場って広くていいけども他の出展者に気軽に声かける気にはあまりなれないんです。みずのそらの雰囲気が、文字通りあの中庭にあるようにオアシスみたいな場所なんです。お客さんにとっても出展者にとっても。だからそんな個人製作家のオアシスみたいな師走展になって、少しずつ裾野が広がっていったらいいなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

卓上バンドソー界最強の非力バンドソーで180mmを挽き割る。非常に神経費やす作業です。5畳半小屋でも挽き割りから塗装までできることを証明したいわけではありません笑。何度も書いてますがもっとまともな工房に引っ越したい。お金貯めて還暦あたりになったらせめて10畳くらいの小屋は建てたいですね。今年47なので還暦まであと干支一回りか。きっと意外と早いんだろうな。2004年冬に初めてウクレレというものを思いつきで製作してから早21年。当時26歳だったので(当然ですが)今年47歳。もう50代が見えてきました。あんなに遠くにあったはずの50代が。いや、でもこんなに素敵な人生はないです。ほんと。家族や周りの方々の支えのおかげでめちゃくちゃ楽しい毎日です。ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余談ですが先週末に近所の山に登ってきました。梨割山っていう斎藤道三方の武将の山城があった山です。この近くに堂洞城と猿啄城があって、若かりし頃の信長が攻め上がってきた地域です。うちの工房がある中部台は元は蜂屋という地名で信長配下の蜂屋頼隆のゆかりの地です。近場には可児市土田(どた)という地名があって、ここも昔に土田御前(どたごぜん)という信長の生みの母に由来した場所です。と、そんな信長とゆかりの深い場所でウクレレを作っております。信長ならあと二年で討死か。なんとかこの荒波を乗り切らねばならぬ笑。