はじめまして。岐阜県美濃加茂市のウクレレ専門工房「Ancestor's Ukulele 」工房主の坂井
祖(はじめ)です。20代半ばに楽器職人を志してから早20年近い年月が経ちました。5畳半の小さなアトリエで年間30本ほど製作しています。大型機械を使わずほぼ手作業で製作しているのでなかなか本数は作れませんが一本ずつ木の状態を見ながら丁寧に作っています。では、簡単に経歴をご紹介させて頂きます。
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2004 (26歳)東京でのサラリーマン生活をやめて名古屋にある中部楽器専門学校ギター製作科へ
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2006 (28)卒業後すぐに楽器業界に進まず一旦は岐阜県可児市のクロネコヤマトで契約社員をしながらアパートの玄関で夜な夜なウクレレ製作を始める
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2008 (30)クロネコヤマト正社員になり朝から晩までより多忙になる生活の中、帰宅後の深夜の玄関ウクレレ製作にハマる
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2009 (31)クロネコヤマト可児御嵩センターのセンター長に若いというだけで昇進(させられ)さらに多忙に。通常の集配業務以外に事務仕事や本社会議に出たりとほぼプライベートタイムが無くなると余計に深夜の玄関ウクレレ製作タイムが輝く
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2010 (32)時間はないが金は貯まる月日が続く
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2011 (33)ファインウッド森さんの誘いで「真冬のハンドクラフトフェス」に出展する機会を頂き阿佐ヶ谷へ。この時に今の鎌倉クワイエットヴィレッジ堀口村長(当時はpoepoe店長)と面識を得る。
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2012 (34)このままクロネコヤマトで忙殺されると何のために東海地方に来たのか徐々に自問し始め密かに企業準備。資金は十分に貯まっていた。
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2013年1月(35) 準備が整いプロ製作家として船出。当時の上司に茶封筒に入れた退職願を手渡して退社。こんな封筒一つで辞められてしまうもんかと少し寂しかったのを覚えているが25歳で楽器製作者を志して丸十年、とにかくスタート地点には立った。
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「自分ウクレレ製作者始めます」と宣言したところで誰もそんなことは知らない現状を打破すべく5月東京ハンドクラフトギターフェス出展。
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たまたま会場で知己を得たキワヤの原京子さんのご厚意で6月ウクレレマガジン・バイヤーズガイドに掲載して頂く。運が良かったとしか思えない。さらに会場にジャパンツアー中だったタイのウクレレアーティスト、アピラクと知り合う。マホガニーモデルをいたく気に入って頂き彼のシグネイチャーコンサートを作る約束をする。
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大枚叩いて9月ホノルルへ営業。
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11月大阪サウンドメッセ出展。同月岐阜に来てくれたアピラクに約束のコンサートを引き渡す。御礼にアピラック・プライベートライブを当工房にて開催してくれた。
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2014.3 (36) プロミュージシャン・海田明裕さんを工房にお招きして工房ライブを開催。
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5月第10回東京ハンドクラフトフェスに二回目の出展。そのときウクレレショップオハナ代表の馬野さんと知り合う。同年5月より取扱が始まる。
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2014年6月16日発売となったウクレレマガジンvol.11「にっぽんのウクレレ工房」に掲載される。※リンクから販売ページへどうぞ
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2018 (40) 2016年にポエポエから独立して鎌倉にウクレレ専門店を立ち上げていた堀口さんのお店、クワイエットヴィレッジにて取り扱い開始する
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2023 (45) 12月「師走のウクレレ展2023」企画・開催
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2024 (46) 12月「師走のウクレレ展2024」企画・開催
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2025 (47) 1月 米国LAアナハイムで毎年開催される世界最大の楽器展"NAMM SHOW 2025" にカスタムテナーを出品
◻︎ウクレレとの出会い
大学生の頃、ギター弾き語りのサークルに所属したことがきっかけで社会人になった後も趣味で音楽は続けていました。数年間の会社勤めを経て26歳の時に名古屋の楽器製作専門学校に入学。ストラトキャスター、レスポール、ジャズベース、アコギなど一通り製作方法を学んだ後に最後の卒業制作は自由だったのでウクレレを作りました。この時なぜウクレレを作ろうと思ったのかはいまだに思い出せません。ほぼ思いつきだったような気もします。専門卒業後はクロネコヤマトに入社して趣味でウクレレを作り続けていました。あれは確か2006年ごろだったかと思いますがたまたまネットでオータサンの演奏を見たんです。これは衝撃でした。「あ、ウクレレってジャズもできるんだ」とか「なんかこの太田って人(当初日本人かと思っていた)地味にめっちゃかっこいいやないの」と感じたのをきっかけにオータサンのCDを探してはどっぷり浸かる日が何年も続きました。特に「reinforest」と「ウクレレ・ボッサ・ノーヴァ」、ベーシストのクリスチャン・ファビアンとのデュオアルバム「STAR
DUST」は大好きでヘビロテしてました。名古屋ボトムラインや金沢のカフェなどオータサンが来日するとよく聴きに行きました。そんな下地が何年も積み上がっていった結果、やはりマーチンウクレレに強烈な親しみを覚えて今に至っています。音楽を表現する道具としてあそこまでストイックに素のままでかっこいいウクレレはこの先百年立っても現れないと思います。オリジナリティを出しつつ、せめてマーチンの香りのする程度のものは死ぬまでに作れたらいいなと言うのが目標です。
◻︎師走展を立ち上げる
ウクレレ製作を稼業としている人同士で繋がって毎年情報を交換できる場があったらいいなと思い、立ち上げたのが「師走のウクレレ展」です。大規模な東京ハンクラや大阪サウンドメッセと違ってイベント会社主催ではなく制作家だけで運営するこぢんまりとしたイベントです。手工ウクレレの会、師走会が今後少しずつ裾野を広がって行ったらいいなと思います。
◻︎趣味 「山歩き」
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健康あっての仕事。健康の基本は歩くこと。なので毎日30分は歩いてます。毎週月曜は近隣の里山歩きをしています。5-10Kmほどの距離を3〜4時間歩きます。夏にはテントを担いで北アルプス縦走をします。
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一番思い出に残つているのは2019年8月に二泊三日で歩いた黒部の山奥です。富山県折立登山口からスタートし日本最後の秘境と言われる「雲の平」のテント場で一泊目、二日目は国内で最も遠く歩いてしか行くことのできない秘湯「高天原温泉」を経由して岐阜、富山、長野の3県の県境でもある三俣蓮華岳を通って黒部五郎小屋のテント場で二泊目。最終日は日本百名山「黒部五郎岳」を登頂して折立登山口まで周回しました。黒部五郎小屋のテント場で山岳界の著名人、ホーボージュンさん御一行の夜宴に招かれたことや重い20Kgのザックを背負って総距離50Kmを踏破したことは一生の思い出となりました。
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2022年夏、北アルプス後立山連峰の鹿島槍ヶ岳に登った際に山頂に続く稜線の雄大なラインに感動したことがきっかけでウクレレヘッドシェイプを変更。鹿島槍のシルエットをモチーフにした現行モデルのヘッドになりました。ロゴになっている日本鹿のインレイは実際に北アルプスの山中で出会った鹿の写真を元にして小川インレイさんに切り出して頂いてます。
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2024年夏は北アルプス後立山連邦の盟主「白馬三山」をテント担いで2泊3日で歩きました。栂池ロープウェイからスタートして白馬大池山荘のテント場で1泊目、快晴の白馬三山の稜線を歩いて白馬鑓温泉小屋のテント場で2泊目、そのまま猿倉に下山しました。この白馬鑓温泉小屋は雪崩の巣窟に立っているので毎年シーズン後に小屋を全部解体します。翌年シーズン前にスタッフ数名で再び小屋を組み上げるそうです。。